2019.6.27
「これからも実空間の時代」中原蒼二さんの訃報に接して
小倉のカフェカウサの遠矢さんや「ななつぼし」の大野さん、
その他、実に大勢のユニークな人たちと知り合うきっかけを作ってくださった
プロデューサーの中原蒼二さんが亡くなられたと知り、
昨夜は、bar太田尻家で献杯をした。
10年前の8月、
北九州市の市民講座で地域と実空間の話をして欲しいと中原さんに言われて、
小倉駅北口の角打ち井出商店の倉庫で講演をした。
北九州の魅力を広く伝える雑誌「雲のうえ」を創刊したプロデューサーでもあった。
60名ほどの人が集まり、その中にはスーツ姿の遠矢さんも。
その後、井出商店の目と鼻の先にカウサができた時は
「なるほど、あの場所に!」と感慨深かった。
公演前、中原さんに旦過市場を案内していただき、
それから講演前の打ち合わせと称して或る鮨屋へ。
中原さんがしきりに「これからは実空間の時代だ」とおっしゃっていたのを思い出す。
思えばその時すでに鎌倉ヒグラシ文庫の構想があったのかもしれない。
中原さんを11年前、下北沢のスロコメに連れてきてくれたのはエンテツさんで、
お会いすると、2001年に私が博報堂から出した
翻訳本『ファンキービジネス』を熟読して「随分と講演会のネタにさせてもらったよ」ということだった。
そのエンテツさんと初めて出会ったのは、
2005年、太田尻家さんのイベントだった。
泥酔して「今日は家に帰れない」と
公衆電話から自宅に電話しているエンテツさんの写真をガラケーで撮ったのを覚えている。
話は急に少し飛ぶが、小倉駅前のカフェカウサは、
震災の後、木の屋石巻水産の缶詰を販売する北九州の拠点となり、
桂吉坊師匠の落語も最初は、ここから。
絵本「きぼうのかんづめ」の原画展に二階をお貸しいただき、
実は、イラストレーターの宗誠二郎さんが門司の出身という偶然もあった。
ここにもともと渋谷道玄坂清香園+まだん陶房の李先生つながりの
TOTO木瀬会長を中心とした方々も加わり、
若松「金鍋」でのチャリティー落語会へと発展。
そこには京都祇園の履物の匠「ない藤」さんも参加した。
博多の利助オフィスさんとのご縁は木瀬会長から。
このつながりは東洋経済の北九州市政50周年本を生む。
東洋経済の大久保さんとは2005年に経堂の鳥へいで出会ったのが最初だった。
そしてカウサは、2年ほど前から清水宏さん、
ぜんじろうさんのスタンダップコメディのライブ会場にもなっている。
ゆるゆると思いだすままに書いているだけで中原さんが居たからこそ
広がった個性的な人のつながりが
複雑だが豊かな網の目のような広がりになっていると気づく。
普段は意識しないのだが。
例えば太田尻家ーさばのゆーカフェカウサのような、
商売だけでやってるのではない、店主や客の顔が見える酒場が何軒かあれば、
目に見えるのはほんの一部だが、
かなり豊かで広範囲な文化の土壌を結果的に育んでいたりする。
リーマンショック直後のあの時期に「これからは実空間の時代」と言語化していた
中原さんの先見の明はスゴイ。
あれから10年「これからも実空間の時代」という思いを胸に日々を過ごしていきたいし、
中原さんきっかけのつながりのことは忘れないようにしないと。合掌。