2022.2.22
#経堂の西郷輝彦さん「1998年、赤提灯・太郎のこと」
「1998年、赤提灯・太郎のこと」
#経堂の西郷輝彦さん
思いだすままに、いろいろ書いてみます。
西郷輝彦さんと初めて会ったのは、
赤提灯・太郎だった。
1998年の10月、
或る雑誌の仕事で出会った人に話しかけられ、
「どこ住んでんの?」
「経堂です」
「えーっ!俺、松原。経堂で飲もうよ」
となり、仕事を切り上げ、
恵比寿から電車で経堂へ。
北口のすずらん通りに入り右手すぐの
飲食ビルDOM経堂の
路地のような一階通路にあった
たまらない昭和の赤提灯
(1982ー2018年 確か)。
何を食べても安いし美味しいと、
鹿児島出身マスターと青森出身奥さんの
アットホームな雰囲気も良く、たちまち虜に。
どんな店だったかは文末のリンク先に
17年前に「経堂系ドットコム」に書いた
文章があるので、よろしければ。
それから一人でも行くようになったが、
良いこともあれば、そうでないこともあった。
1990年代後半の昭和の赤提灯。
長いカウンターに1人か2人、
今では考えられないほど濃厚な
ハラスメント系のオヤジ客がいた。
当時、私は、30歳になったばかり。
初回は常連さんと一緒だったが、
一人で通うようになり、そういうオヤジ客の
隣になると、必ず餌食になっていた。
若者と見ると何やっても言ってもいいらしい。
説教・マウント・ウンチク・自慢の雨あられ、
「どこの大学?」
「何の仕事してんの?年収は?」
「靴、見せて、足元で人の格がわかるから」
「ジャケットは、どこのブランド?」
「親は?」「どんな車乗ってんの?」
「名刺くれ?」
しかし、
酷い状況を一変させるカウンター劇場があり、
毎回それに痺れた。
悪酔いのエスカレートに耐えきれず、
「お会計」という言葉が口から出そうになると、
前の通路で誰かの鼻が鳴るのである。
次の瞬間、ガラッとドアが開き、
二人組が肩を組んで入ってくる。
西郷輝彦さんと道玄坂清香園の社長の李さんだった。
「あーはっはっは!」
「李さん、まだんで飲んだから、そろそろ調子出てきた」
「さー行き(飲み)ましょう!」と、日本拳法のポーズ。
「まぁまぁ。まずは椅子に座らないと(笑)」
二人がカウンターに座って注文を始めると、
隣のオヤジ客の口撃がピタリと止まるのだった。
それはもうドラマチックなほど。
二人が周囲に「おつかれさま!」と、
乾杯をすると、
また店内が和やかなムードになる。
「太郎さん、財宝ロックお代わり」
「すぐそこで陶芸教室を始めてまして。肉も陶器も焼きものでしてな」
あちこちで会話が弾むようになると、
ハラスメントオヤジ客が、
それはもう面白い豹変をするのだった。
「高校を中退して歌手を目指すのが凄い勇気!」
「Tシャツにサンダル、似合いますよね!」
「肩書きなんか関係ない!」
西郷さんにヨイショを始めて、
さっきと言ってることが全くの逆。
そのオヤジ客は、その後、
飲み方が良くなってきたのでした。
赤提灯・太郎で出会って、
西郷さん、李先生と
随分いろんな店で飲ませていただいたけど、
若い頃、古い常連客もいる店に馴染めたのは、
お二人のおかげかなと思いだす。
そういえば西郷さん、
日本拳法づかいの李先生も好きだったけど、
日本憲法も好きだったな。
よく偉そうにしてマウント取ってる年配の人に、
「ちょっとー、おとうさん、やめてくださいよ。
同じ値段のお酒を飲んでるんだから、みんな一緒、平等なの。ねっ」
と、握手すると、
みんな急に大人しくなるのでした。
そういう店には、若かったぼくも、
安心して飲みにいけました。